ブルアカ生徒、フルネームの謎

フルネームで自己紹介
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 ブルアカで募集(ガチャ)をしたときに、生徒が自己紹介をしてくれることがある。上の写真はその一例。学園と部活や役職、そしてフルネームを言ってくれている。先生も生徒も「アコ」とか「アコちゃん」とか「犬」とか呼ぶけれど、フルネームでは「天雨アコ」だそうだ。

 他にも、ミレニアム学園サイエンススクールの音瀬コタマ、正義実現委員会の羽川ハスミなど、どの学園の生徒でも、実装されればフルネームがあることがわかる。

 

どうやって付けたのか?

 先ほどの例を見るに、みんなのフルネームは「◯◯+◯◯◯」のパターンで、日本の「名字+名前」と形が同じだ。名付け方法は日本と同じなのだろうか。

 「名字」について広辞苑(第七版)を見ると、「(代々伝わる)その家の名」とか「住む地名などを取った家の名」とか書いてあった。日本式で名字をつけるならば、家族の名字と同じものがそのまま自動的に付けられることになる。

 

名字の付け方は様々

 ところで、ピカソのフルネームは実はすごく長い!という話は有名だろう。なんであんなに長いのだろう?と思い適当にネットで検索したら、どうやら父親の姓と母親の姓、祖父母の姓、キリスト教の洗礼名とか色々くっついた結果らしい。

 なるほど、所変われば制度も宗教も変わり、名字の付け方も全然違うのか。であれば、一見同じようなパターンで付いているように見えても、自治区によって名字の付き方は異なるのかも?

 

家族はどこに

 あと、倫理的な話になるが、現代では(ヒトの)精子卵子提供者、産んだ者、育てた者がそれぞれ別になることがあり得るため、親が計5人いる場合も考えられる。こうなったときにキヴォトスではどうな…

 いや、まずどうやって生徒は誕生するのか?親は存在しているの?誕生日はあるけれど、その辺はさっぱり。もはや親とか家族とかの概念があるか自体怪しい。「君たちはどこから来たのか、君たちは何者か、君たちはどこへ行くのか。」ゴーギャン、1897年)←嘘

 もしかしたら、フルネーム全部自分で決めたとか?

 

名字をつける意義

 わざわざ上の名前と下の名前を分ける理由とは。日本の制度から考えるとすれば、名字は要するに「どこの家の人か」を表すもので、名前は個人を表すもの、これを組み合わせることでどこの誰かを判別できるようにしたのだろう。これは「家族」を社会の基本単位とするからこそ、上の名前に意義がある。

 キヴォトスでも「家族」を基礎とした制度設計がなされているのか、それとも(生まれ方はともかく)生まれた場所で区別しているのか。はたまた好きなのを選ぶ慣習か。もしかしたら、名字と思っていたものは「神名」であって、その神聖さから通常軽率に呼ぶべきではなく、よって下の名前で呼んでいるとか…?

 まぁ、名字には下の名と同様に個人の呼称としての意義を持ち得るし、無理に意義を見出すことが時代遅れなのかもしれない。アクセサリーをもう一個つけよ~って感じで漢字の名前とカタカナの名前、両方あるのかも。

 

 次回の名字記事は、実際の名前を見ながら考えるとしようかな。学園別にみていくと、制度の違いが分かったりするかなぁ。次回も月末になりそう。